田植え

木古庭に来てから、5年目になり、やっと思い描いていた田んぼを木古庭で始めることができました。これまでは、鴨川の棚田のオーナー制度に通って、作業や手順を学んだり、

葉山の長柄という場所で、真砂秀明さんのもと、お米作りを学ばせてもらっていました。

そのひとつひとつ、そのときそのときのご縁が、今、ここ木古庭で生かされようとしています。ゴミだらけの場所のゴミの撤去からはじまって、やっと自分たちの手で一から田植えが

出来て嬉しいです。

もちろん、一年分には、足りません。

でも、稲を育て、田を起こし、田植えをし、草刈り、稲刈り、脱穀、籾摺りなど

私たちの食卓にあがるまでには、たくさんの工程と時間、手間がかかっているのを

身を以て体験しています。これが、出来たら、『なんだかなにがあってもだいじょうぶ』

っと思えてきます。

今回、水を引き込む作業で「水」をよーく観察してみました。

水ってすごいなっと改めて思っている時に、満願寺というお寺の和尚さんに頂いた手ぬぐい

を畑にひろげて読んでみました。インスタでは、長くて書けなかった文を書き留めさせてください。私のためです。


水は、丸い器には入れれば丸くなり、四角い器にいれれば四角になる。

万物に恩恵をあたえながらも、少しも自慢することなく、常に低いところへ位置する。

そのあり方は、きわめて柔軟で謙虚だ。それでいて硬い岩でも打ち砕く力を秘めている。

一見、主体性がないようにみえるが、その実つねに低いところへ流れようと強固な主体性を秘め、何もなしてないように見えながら、万物に恩恵を与えている。

時には蒸気となり、氷となって、その姿は、臨機応変、自由自在。

人間もかくありたいものだ。                   (老師)

風と森

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